「ありがとう」の反対は何?感謝が大切に思っても忘れてしまうこと。

ライフ

ちょっとショックなことが起きました。

イメージこんな感じ

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個人ごとなので詳しいことは伏せますが
喜んでもらおうと私としてはがんばっていたことが相手の人にとって当たり前になっていた感じ。
ちょっと「尽くす、相手のために」という意味を考えてしまいます。

どんなことにでも感謝をするべきと考え無くても感謝がでてくるようになりたい

なにかいつも当たり前のようにあることって感謝を忘れがちだと思うんです。
親からの愛、日本に住んでいること、健康でいられること、やろうと思っていたことができること、ご飯を作ってくれること、、、etc
例を上げればきりがない。

でもだからこそ相手がどんなことを思って私にしてくれているんだろう、その環境がなかったらどうなるんだろうと思って生きることって大事です。

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この言葉が必ずでてきます

 

こんなことを書いている私も感謝するべきことを当たり前に思ってハッとしてしまうことって時々あったりします。

ありがとうの反対は?

と、ここまで殴り書きのようにどうでもいいことを書いてきましたが
ありがとうの反対ってなにかご存知ですか?

ある程度話してきたのでわかるかもしれません。
当たり前」ですね。

「ありがとう」は「有り難う」と書きます。
有る事が難しい。それがありがとう。あることが普通だったら「有たり前」。
日本語ってうまく出来ています。

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こういうことを考えていると日本語の歴史にも興味がでてきますね

 

Facebookの投稿でいつも「感謝♪感謝♪」って書くのもどうかと思いますが
日々に感謝することいつもあることも有難く考えることはとても大事。
そういった初心というか原則?を忘れないために神社にいって人は祈るのですかね?
ん?なんか流れがおかしいな。

なにはともあれ今回の出来事は反面教師にはしつつも
私が感謝すべきことを感謝が足りなくなってきているから周りにも波及したのかもしれません。

ちょっと自分のこと、見つめなおしてみるきっかけとします。

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